近代国家における首都
ヨーロッパ文化の都ウィーンは、18世紀のバロック期以来、建築、彫刻、美術、音楽、演劇、文学など、あらゆる文化領域でウィーン独自の文化を発展させました。
ヨハン・シュトラウス、ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、マーラー、シェーンベルクと連綿と続く音楽家たち、フロイトらに代表される学術・文学、世紀末を代表する画家クリムトなど、ウィーンが生み出した芸術家、文学者には枚挙にいとまがありません。
ベルリンも、ドイツ帝国の首都としての1871年から1918年までの間、文学ではハウプトマン、医学ではコッホ、物理学ではアインシュタイン、企業家としてはジーメンスが登場。
官僚・軍事都市としてだけではなく、文化、科学、産業の分野でも多くの人材を輩出しました。
さらに第一次大戦後、周辺市区と合併し(1920年)、人口が386万人という大都市となったベルリン。
ワイマール共和国の首都として東欧からの大量の亡命者、移民を迎え入れ、「黄金の20年代」を迎えます。
「ワイマール文化」の中心地として、音楽ではクレンペラー、ワルター、フルトヴェングラー、ヒンデミット、演劇ではブレヒトが登場、また都市型の新中間層の拡大とともに大衆文化の発展を見、映画館、キャバレー、カフェなどが活況を呈しました。
人口も、1930年には424万人という大都市に拡大。
このように首都が果たす役割の中には、さまざまな文化的中心性があります。
とくに近代国家における首都は、産業文明の果実を国民に対して目に見える具体的な形で示すという大きな役割があるため、巨大な建築物や壮麗な博物館、美術館や百貨店や娯楽施設など、多くの文化装置を建設する必要があったのです。

