「環境文化首都」のコンセプト その2
日本は欧米に遅れて産業化を開始し、欧米を追いつき追い越すために欧米よりも短期間で急激に産業化を進めました。
そのために、農業社会から工業社会への転換が非常に短期間で行われてきました。
イギリスの人口に占める都市居住人口の割合が50%を超えるのは、1851年です。
アメリカでは1920年、それに対して日本は1960年頃です。
就業人口に占める農業人口の割合も、アメリカでは1870年から1920年にかけて、50年間で53.5%から27.4%に半減したのですが、日本では1947年から65年のたった20年弱で、53.4%から24.6%に減少しています。
イギリスでは1861年段階で、すでに26.9%です。
このように、日本では戦後から高度経済成長期までの極めて短期間に、農業社会から工業社会に変わったのです。
このような農業社会から工業社会への急激な転換のために、日本は自然環境の破壊の程度も急激であり、日本古来の自然景観や落ち着いた町並みも急速に失われました。
つまり、経済・産業と、人間や自然との調和を充分に図っていく余裕がなかったのです。
しかし現在、生活水準ではほぼ満足のいく状態になったために、日本人の多くは、心の豊かさを求め、よりゆとりや潤いのある生活を求め始めており、高度成長以前の美しい自然景観や町並みを、少しでも取り戻したいと考えるようになってきています。
経済・産業と、人間、自然、環境、生活が調和した、「環境文化」とも呼ぶべきリネンの実現が求められ始めています。
「環境文化首都」は、その理念を実現する首都なのです。