首都としての東京の意味 その2
明治政府は、帝国憲法で東京を首都と特定せず、戦後の日本国憲法でも首都を特定する条文はありません。
明治政府は江戸を東京と改称し、天皇を旧江戸城に移しましたが、遷都を公布せず、諸外国に対しては東京市の開市宣言をして東京を事実上の首都としたにすぎないのです。
また、戦前の皇室典範では、依然として天皇の即位式は京都で行うと定められていました。
その意味で東京は、あらかじめ「機能」としての首都だったのです。
東京を首都と定めるに至った条件は、主に以下の7つのことがあります。
(1)北海道開発によって日本の重心が東方に移動したこと
(2)地形的に大規模な都市の建設が可能であること
(3)大阪に比べて面積が広いこと
(4)江戸城や藩邸を活用できること
(5)江戸湾が良港であったこと
(6)維新後衰退した江戸の振興の必要性
(7)内陸交通の幹線である五街道が日本橋を起点に整備されていたこと
かくして東京は、急速に首都としての体裁を整えていきます。
早くも1872年に新橋~横浜間に鉄道が開通。
74年には、銀座に西洋の街並みを模した煉瓦街ができました。
鹿鳴館(1883年)、初の西洋式公園・日比谷公園(1903年)なども建設され、驚くべきスピードで西洋化を実現していくのです。
1886年に立てられた中央官庁集中計画の背景には、欧米との不平等条約の改正を目指してわが国の国力を誇示しようという意図があったといいます。
首都東京の整備が、そのまま西洋の列強に伍していくための近代国家日本の独立と発展に深くかかわっていたと言えます。